以前来られたお客さんとのやりとりを見ていて。自分のメモとして書いてみました。
●主訴
口の中の激痛、舌痛症の緩和
恐れと不安
自分を変えたい
●痛みについて。
痛い日もそうでない日もある。
何が問題なの?と自然と自分に問いをしていた。
考えると痛みが出るけど、同時に恐れや不安も立ち上がって来ていた。
そんな状態から・・・
分離に切り替わった。
いつのまにか。
痛いけど、怖くない(どうなるかの恐れ)
痛いけど、不安が無い(先の分からない未来への不安)
これ、凄く無いですか?(お客さん)
こうなるとこんなにも軽くなるのですね(お客さん)
重くしていたのは、どうなるか分からない恐れとどうなるか分からない未来への不安
痛みよりもこちらの負荷の方が強かったという体感がありました(お客さん)
●あきらめ学で行く(以下、お客さんの言葉)
・だましだましで良いじゃん!
・もう、自分でどうにも出来ないから、あきらめちゃえばいいや!
・私、頑張って来たよね
・私、ほんと良くやったよね
・でも、もう頑張らなくて良いんだよね!
こんな感じで自然と心にスペースが出来、軽くなって来ました。
・この感覚はやろうと思っても出来ませんね!
・気が付いたら、勝手にこんな感覚になっていた!
・有賀さんが前に言っていたこの言葉の意味がやっと腑に落ちました!
●では人はなんでいろいろ頑張るの?
いろいろワークや読書、自己啓発などをやる理由は?
•それだけ自分に真剣、愛している証拠
•それだけ自分の事が大好きな証拠
•それだけ自分の可能性を知っている証拠
自分が嫌いだから頑張ると言う人が多く居ます。
でも、
これ、
大きな勘違い!
もし、自分の事が嫌いなら、
無視すれば良い!
もし自分が嫌いな人が目の前に居たとして。
その人を真剣に変えようと思いますか?
私は思わない。
ほーちします!
逆に、
大切な子供や連れ合いが居たとして。
余計なお節介
変わって欲しいと意見する
これって何で?
その相手の事が大切だから。
愛おしいから
です!きっと!
なので、自分を変えよう!変わりたい!良くなりたい!
この前提は、
自分大好き!
から来ていますね。間違いなく。
●症状と感情の分離
痛みと恐れ、不安の同居
これが、分離された
【気が付いたら、いつのまにか、そうなっている自分に気付いた。】
分離させなきゃは離れたくない世界を作る
病気、健康って誰が決めたの?
病気が悪くて健康が良いって。
自分で決めたけど、無意識の刷り込み。
社会の観念。
でも、それって本当なの?
視点が、
痛いのが良くなってから活動しよう!から、
どうやって今な在る自分の人生を楽しもう。喜ぼう。と自然と考えるようになった。
痛みの捉え方、認識が、
【今日は痛い日。仕方ない。今日はそんな日。まぁ良いか!】
に変わってた。
あきらめとは。
自分の成長を諦めると言うことではなく、
状態に対しての諦め。
もう良いか。
仕方ないか。
と
【状態へのこだわり、執着が切り替わる事。】
それも、ごくごく自然とそうなっていた事に気付く事。
こころも
からだも
ふーっと力が抜け、楽になる、軽くなる。
ただそれだけ!
自然と緩んでしまう状態の体験!
この体験をしちゃうと、今まで、何だったん?
となります。
まぁ、今までのプロセスも大切なんですけどね。
全ては、
必然
必要
ベスト!
なので!
●その方のブログです。
見てみたら、こんなに上げてくれていました。
改めて読ませて頂くと、凄いなと思ってしまいます。
バイオフォトンアクティベーション
https://blog.goo.ne.jp/portal/tags/舌痛症%23バイオフォトンアクティベーション%23有賀雅高%23痛みと感情
バイオフォトンアクティベーションによる変化
バイオフォトンアクティベーションが私にもたらしてくれたもの
痛みと恐怖が分離する
●クルクルポンチャンネル登録!
是非よろしくお願いします。(╹◡╹)
⬇︎
コメント