ファスティングと呼吸と無の境地~お経と倍音とロウソクの光から広がる世界~

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最近、小学生の頃の自分を思い返す機会が多いです。

そしてその当時の話をセラピーの合間にお話しする機会が最近多いのですが、その話をするととても興味を持つ方が非常に多いことに気付きました。

私自身の当時の過ごし方、在り方が面白いと思っていただけるなんて。

そんな声が多かったので今回は、どの様な内容の話なのか。

その辺を書いてみようと思いました。

 

小学生の頃の自分について。興味半分で読んでみて下さい。

そもそも、なぜか意識が行くようになったのか。お客さんからの質問だったのかなと記憶してます。

小学校の頃、どんな少年だったの?

そこから私のタイムトリップが始まりました。

少年の私はどんな感じだったのか。

過去の振り返りです。

するとそこには、今の仕事をするに際し、その原点につながるヒントが見え隠れしていたことに気付かされました。

過去に今のヒントが眠ってた。

それは更なる発見でもあり、今のセラピーにも活かせる事でもあり、過去との出会いは、新たな自分

との出会いでもあり、とても面白いです。

そして分かったことがあります。

それは、今のセラピーにすぐ実践できる事を自分で行っていたという事でした。

自己メンテナンス。体調管理、治癒力向上のヒント。

自然とやっていたメンテナンス、自己管理。

では、少し過去の私にトリップしてみようと思います。

食事の在り方


小学生の私。とても活発で、ソフトボールに精を出していた当時。育ち盛りの頃です。

周りの皆の食べ物はというと、お肉や揚げ物、刺身などを好んで食べていたのですが、私がよく覚え

ているのは、ボウル一杯のぶつ切り野菜の山。きゅうり、トマト、セロリ。

それをほぼ一人でたいらげる食生活。お肉などはたまにハンバーグや少しの揚げ物を取る程度。カレー、肉野菜炒めなどに入っているお肉はほとんど食べる事はありませんでした。周りの友達にはそんな人はまず居ません。

先日母に聞いたのですが、野球の練習、遠征では弁当持参で行くことが多いのですが、他のお母さんから、そんな野菜ばかりで、体力持つの?とよく言われていたようです。周りはやはりお肉中心の弁当が殆ど。どうやら異質だったようです。

でも守備ではセカンドを守り、打順は5番だったので、そこそこの体力と運動神経だったと記憶してます。そして、一度口に入れた食べ物は、口の中が液体になる程にまで噛んで咀嚼し、飲み込んでいました。

よく親に、「いつまで噛んでるんだ。食べるのが遅い。いい加減に飲み込んだら?」

そう言われていたのを思い出します。

通常はその逆ですよね。

「もっとよく噛みなさい。」

「もっとゆっくり落ち着いて食べなさい。」

誰かに言われることなく、勝手にそんな食べ方をしてました。

『咀嚼力。良く噛み、分解、消化、吸収』それらを促し、臓器の負担を減らす事にも繋がります。

咀嚼する事で唾液が分泌され、消化吸収の大きな手助けとなります。

咀嚼力は理解力などと称されることもあり、物事の理解力解釈能力、行動力にも繋がるようです。

 

当時その様な事は何も意識した事はありませんでしたが、今思うと、きっと身体は噛むことの大切さを知っていたのだしょうね。

 

風邪の治し方


まず、体調不良で学校は休んだ事がありませんでした。風邪を引くのはだいたい土曜日。何だか身体がおかしいなと思ったら、その日から何も食べず、毛布に包まって汗をかきなが布団の中に潜り込んでました。(それが正しいのかはよくわかりません。ただ、身体の赴くままに従い行動していたという事です)

そして、ひたすら寝て自分を治してた。ちなみに、土曜日ひいた風邪は月曜日学校に行けるくらいに回復してました。1日半寝て回復して週明けに学校に行く。なので学校を休んだ事はありません。

今思うと脅威の回復力です。それを本能で行っていたのでしょう。そんな事も思い出しました。
今では一般的に風邪はお医者さんに言って薬を飲んで熱を下げて、菌を殺して・・・

その辺の良し悪しは私が言及する立場ではないのですが、個人的に風邪を薬で治すという習慣はほとんどありませんでしたので、その分、自分の力で治すことに意識が自然と向いていた。だから治癒力が勝手に出てきて自分を治していた。

それを身体は知っていた。それだけなのかもしれません。そう考えると、身体って実はいろいろ知っていて、それに気づくこと、そこに視点を向ける事がとても大切な事なのかもしれないなとやはり感じざるを得ません。

 

半日ファスティング


今よく聞くフレーズ。

ファスティング。

いわゆる断食の事です。

半日、1日、3日、1週間。

酵素、水、ドリンク、果物。

様々な手法、考え方があります。

私もいろんな手法のファスティングをこれまで経験してきました。

これは人により内容、やるやらないは様々です。もしやるとしたら、自分に適してるのは何かを吟味するのは大切な事なのかもしれません。

そしてファスティングからは様々な気付きも頂きました。

その点もまたシェア出来るといいなと思います。

育ち盛りの小中高校生の頃。

育ち盛りなのに、朝ご飯を殆ど食べず、学校に行っていた私。

今からおよそ30年位前の事です。

これは今で言う半日ファスティング状態。

(ちなみに、私が半日ファスティング理論に出会ったのは今から9年ほど前。甲田光雄先生という方が書いた本、【奇跡が起こる半日断食)でした。この仕事を始める頃です。それを読んで最初に思ったこれやってたかも・・・でした】

朝ご飯は出てくるのですが、お腹が空かないから食べないでいた。

何で食べないの?
きちんと食べないとパワー出ないよ。
そんなセリフを言われたのも覚えてます。

その時は半日ファスティングが身体に良いとか、健康的だとかは考えたこともありませんし知る由もありません。

お腹が空かなかったから食べない。

ただそれだけ。

野生的本能からの自らの在り方。

そんな感じがしてます。

それでも、元気に運動し、身体は至って健康体です。

自然と身体の声を聞けていたのかもしれません。

世間的に言いますと、真逆であったり、少し違った感覚だったのかもしれません。

人は自分の感覚では無く、何かに合わせて生活を送る事が日常とても多いです。

食事一つとってもそれは言えます。

朝は活力の為に食べるもの。

昼は12時に食べるもの。

夜は7時に食べるもの。

時間や作られた常識に合わせた生活です。

例えお腹が空いてなくても、

効率

片付け

活力

などを理由に何かに合わせた食の在り方が成り立ってます。

食の在り方だけではありません。

生活、概念、人間関係。

それら取り巻きの殆どが何かを対象に、外側の概念に合わせた自己形成。

今の世の中は情報が多いが故に、何かに合わせる事で安心し、自分を守ろうとするメンタリティがそこに在る。そんな世相の様に感じます。

個人的にきっと、その頃から何かに合わせた生活では無く、

食べたいから食べる。

体力を回復する為には物を食べない。

風邪の回復は汗をかいて寝ること。

そこに意識が当たっていた様に感じました。それが自分に適していた。それを赴くままにしていた。

本能で生きてた様ですね!

そして、こんな事も。

少年有賀にとっての当時の朝と夜の習慣。

必ず30分から1時間行っていた事があります。

さすがにこれをやっていた小学生はなかなか居ないだろうと今更ながらに感じます。

それは・・・

 

お経と自己との向き合いと覚醒と


ここで書くことは、私が障害性の時に体験したお話しです。

私はこの体験から強烈な心地よさと安定感を得る事が出来たように感じました。

腹式呼吸も自然と行えていたので健康的でもありました。

音の世界と光の世界のお話です。

小学生の頃、私は毎日の日課として朝晩に行っていたことがあります。

やり始めてからほとんど欠かしたことがない日課でした。

それは、お経を唱える事でした。毎日、朝晩の30分から1時間。日々のお勤めです。

自分に向き合う時間だったのかもしれません。(当時はその様な事は考えてもいませんでしたが)

面倒に思った事もあります。

やめたいなと思った事もありました。

ただ、なぜか続けていました。

それをやる様になった背景は、よく覚えてないので割愛します。

最初に言っておきます。

我が家は宗教に入っていたり、何かの教えを信じて、それ勧め、生活している事は一切ありません。

その時、我が家ではお経を唱える習慣があった。ただそれだけ。

当時を振り返り、お経を唱えててどんな感じだったのかを最近明確に思い出すようになりました。

そして、あることに気付きました。

それは、自然発生的な呼吸法、瞑想の様な状態、無だか空の状態。

倍音と声(音)の共鳴の凄さです。

その凄さやインパクトが今の仕事に役に立っていたり、学びになっていた事に気付いたのです。

世の中には様々な瞑想法や自己との向き合い方などの方法の教えが存在してます。
ヨガもそうなのかもしれません。

これまでヨガはやった事ありません。

大人になり、通常の瞑想、呼吸法もやっては見たのですがなかなかうまく行かず、迷走になってしまったり。無を意識し過ぎて思考が働き過ぎたり。

何一つできた試しがありません。

そんな中、過去を振り返り思い出しました。

あの頃やっていたのはそれら全部だった!

呼吸法、瞑想、空。

それを体現したのでは。

心地よく、思考が無くなり、視界がかすみ、光り輝いてくる。そんな経験です。

とても怪しく、意味の分からない事を書いていますが、その様な経験を当時良くしていました。

そしてこれは、ある環境が整うと自然発生的に起こるのではと思っています。

そのある環境というのもそんなに難しくはないです。

これまで呼吸、瞑想、空などの感覚が全くなかった私。

でも実はそれを小さいころにやってた。出来てた。

その発見はとても大きかったです。

最近お経を唱えていた時の自分の経験、状態について人にお話しすると、とても興味深いと言われます。知りたい。やってみたい。そんな声も意外と多かったのもまた驚きです。私がやっていたのはお経を唱えていたら偶然的にも起こった現象。

ただあまりにも心地よく、深い呼吸に繋がり、結果、瞑想状態になった。

ある意味とても神秘的でした。

『呼吸』、『瞑想』、『倍音』、『空』

以下は個人的に感じた感覚です。専門的ではない事。ただの経験としてお読みください。

 

お経は実は呼吸法、瞑想法だった。

お経は共鳴と倍音だった。

お経は空だった。

お経は音だった。

 

お経を唱える時、口から声を発しますので、当然息を吐きます。そして、吐き切ったら吸います。

その時、吸うより吐く方が長いです。自然と行われた腹式呼吸です。

それを30分から1時間行います。母とそれを行う事がほとんど。これもまたポイント!

するとどうなったのか・・・。

声という音が共振共鳴するので、そこには倍音が発生します。(倍音の事も最近知りました)

その倍音は、内側からのようでもあり、外側からのようでもあり。かなり不思議な感覚。

それが驚くほど心地よいのです。

身体が浮く感覚。

自分がそこに居て居ない様な感覚。

不思議です。

それを続けているいると、ある現象が伴う事が多かったです。

しばらくすると、自分の視界が霞んできて、あるポイントから光を出します。

そして、時間が分からなくなったり、周りの音が聞こえなくなったり。

これは決して意識を失うとか、身体が変な風になるとかそういう感覚ではありません。

非常に心地良く、思考も、感情もその時は全て吹き飛ぶ感じです。

うまく説明出来ないのが申し訳無いのですが。

その様な感覚だったと記憶しております。

これらは、ある環境が整わないとその感覚が導き出されなかった。

それもまた特徴的なのかなと感じてます。

この環境というのもそんなに大変ではありません。

 

・姿勢を正して座る

・必ず2人以上いる環境で行う

・お経でも音でも言葉でも、共鳴できる音を響かせる

・集中して見るポイントを作る

・そのポイントを凝視する

 

この環境がとても重要な要素となります。

覚醒を目指すわけでもなく、空を体現する事でもなく。

行う事で心の安定と安らぎと腹式呼吸と倍音と。

それらが合わさる事で広がる不思議な感覚。

その様な事が今度、皆さんと出来ると楽しいなと思います。

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