セラピストとエゴと見分け方について

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人をコントロールしたり、言うとおりにするよう促したり。

治そうとしたり。

その為にさらにコントロールしたり。

それはやる側のエゴ!

エゴとは、自分を守る為の方法。

エゴは、その人にとっての自己表現

エゴは、その人にとっての過去からのパターン

セラピストがこの様なパターンがある限り、それを繰り返す事でしょう。

その様なセラピストを見分ける方法があります。

それは・・・

その前に、セラピストとは、

問題解決する人ではない ⇒ 問題解決できるのはその人本人しかいない

癒す人ではない ⇒ 癒せるのはその人本人しかいない

何とかする人ではない ⇒ 何とかできるのはその人本人しかいない

私の捉えるセラピストとは、

「自分を省みて、

人をサポートする立ち位置を意識できる人」

「物事を中庸から、俯瞰して見れる人」

「自分の中で物事をジャッジしない人」

「常に自分で中庸を意識し、保つ努力をする人」

などなど。

あげると他にもたくさんありそうです。

中庸

これこそがセラピストにとって重要な立ち位置です。

タオの世界。

老子の中庸の考え方。

禅の世界にも通づるところがありそうです。

この辺も、何を持って中庸なのか。

そんな定義もありません。

人をコントロールするという事は、

自分の在り方を見据える事が出来ていないという事。

人に恐れを植え付けるという事は、

自分が恐怖で支配されているという事。

そうそう。

先ほどの私なりのセラピストの選別と言いますか見分け方について。

それは、

「恐れで人を支配しようとしているかいないか」

このままだと〇〇になりますよ

⇒ これは恐れですので、私は従いません。

今から7代前のあなたの先祖が沢山人を殺めてますね。それが原因であなたは苦しいのです

⇒これも縛りであり、恐れとコントロールに繋がるので、私は従いません。

参考になるところは参考にしますが。

あくまでもこれも私の世界観です。

これが正しいという事を伝えるつもりはありません。

ただ、見分ける時にこの、

恐れとコントロール

を意識すると、自分の軸はブレにくくなりました。

意外と安定感と心地よい感じです。

もしよろしければ参考にしてみて下さい。

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